最近、私と両親の間でよく話題に上るのが、終末期医療に
ついて。
母は、点滴やタンの吸引もして欲しくないという。
祖母の亡くなる前の状態を見ているので、その思いは
強い。90過ぎで、胃ろうをするという話を聞き、直接介入できる立場ではないが、色々議論をしている。
私は、介護の仕事をしていたし、意識の無い人、亡くなった人とも話ができるから、肉体から離れることが終わりでは
無いと知っている。
最後まで、本人の意思を尊重すべきだと思っている。
これは、あくまでも私の個人的意見なので、そこに迎合・同意や反発・抵抗は必要ない。
ただ、こんな物の見方があると受け流して欲しい。
日本では、「特養に入る為に胃ろうにする」という訳のわからない状況があるらしい。
「どんな状態であっても少しでも長く、生きながらえさせたい」
それは、私にとっては残される側のエゴのように思えて仕方ない。
でもそれが、当り前で唯一の選択と感じている人にとっては、私は「冷たい人間だと」思えるはず。
以前「欧米では寝たきりの人がほとんどいない」という記事を読んだことがあり、また探して読んでみた。
高齢になり口から食べられない、飲めない状態になることはごく自然なことと受け止められている。
以下抜粋
スウェーデンでは、高齢者が自分で物を食べることができなくなっても点滴や胃ろう処置はしません。
病気になったら注射などの治療は行わず、内服薬を処方するだけ。
ここだけ聞くと、福祉大国スウェーデンの意外な実態に衝撃を受ける方もいるのではないでしょうか。
ですが、これは決して医療費削減や高齢者の切り捨てではないのです。
スウェーデン国民には「胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的である」というゆるぎない
価値観があります。無理な延命をせずに自然な死を迎えることこそ、高齢者の尊厳を保つ最善の方法だと
考えているんですね。そしてこの考え方はスウェーデンだけでなく、他の欧米諸国でも一般的。
つまり、「高齢者は寝たきりになる前に亡くなる」のが海外に寝たきり老人がいない真相のようです。
出典:http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/
アクセス・コンシャスネス®のボディ・プロセスの中に「イグジット・ステージ・レフト」というものがある。
身体に残りたいか、去るか自分で決められるようになる。
私が知っている中で、唯一離れた場所からできるシステム。これが、もっと広まったらいいと思う。
そして、家族のために選択を迫られたとき、
「相手に対して自分はどんな貢献ができる?」
「ここで何が可能?」
と問いかけてみて欲しいと思うのでした。
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