他者評価というジャッジを受け取る

昨日は都内にお出かけ。

 

電車の中で、私と人を繋いでくれる「コネクター」を

オーダーしたら、ランチを一緒にした友達が

「私、コネクターなんだって~」と。早っ!

 

別の友達からも、イベントで話して欲しい!とかクリアリングして~と

いう依頼がきた。具現化パワースゴイです。

 

 

実はここ最近、クリアリングして!と言われるのが嫌だった。

 

自分で出来るのに、やって~と言われるのは断る。

 

やる・やらないの基準は何?と聞かれて、困った。

気分!!と答えた後、考えてみたら

 

変化を促進する為ならOK

自分が、出来ない(有限の存在だから)というのは、NG

 

なぜなら本来「無限の存在」であるのに、「出来ない」は嘘偽り。

それを証明し助長することに加担するのがイヤみたい。

 

そして、大きな気づきもやってきた。

私は、バーバル・クリアリングが得意。

コンシャスネスを語らせたら結構すごいし、ジャッジもかなり外れている。

「私ってすごいの!!」これを認めていて、人にも言える。

 

ところがエナジーを見る能力がパワーアップしたら、昨日の友達との会話で、

人が私に与えてくれる「賞賛」を、6割位に少なくして受け取っていたことが分かってしまった。見えちゃった。

 

そういえば、デートで「素敵~」と褒められて「ありがとう!」と言う言葉が軽すぎると

何度か言われたことがある。やっと意味分かった。

素直に受け取れてて、私すごいじゃん!変ったよね~と言うところで止まってました。

 

無限に受け取ること、受け取る意欲をもつこと大事だね。

 

そして、今朝腰痛が・・・

受け取ること、めちゃめちゃ、抵抗している。

 

これは何?問いかけた。

人から、すごい人と思われることが、心地よくない。

子供の時、勉強が出来た。

スゴイと言われて、周りの人との距離、分離を感じて寂しかった。

その辺を、クリアリングしたら楽になった。

でも、まだちょっと重さが残っている。

 

そうか、他者評価はジャッジ。そこに同調しようとしてた。

重さは偽りの証し。面白い!